早瀬利之の蘇格蘭鉄道紀行/全英オープンミレニアムタペストリー

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早瀬利之の蘇格蘭鉄道紀行


スコットランド
(エディンバラ)

東京

“世界で最も美しい国”のひとつに数えられるスコットランド。ロマンス溢れる歴史と伝統がいっぱい詰まっている。スコットランドを訪れる人はみな、その豊かな自然と文化、人々の優しさに触れることができる。

スコットランドは車をチャーターして旅するのも良い。しかしそれは二度目の旅からで最初は“鉄道の旅”を勧める。なぜなら、鉄道を中心に町が生まれたからである。また、「足で歩き、土地の人と接する」ことを勧める。

“周遊券とB&Bホテルで1週間から10日間、歴史の旅に出てみてはいかが?”

22 July '02 ウェバリー駅にて フライイング・スコッツマンで

The Flying Scotsman”1862年、ロンドン―エディンバラ間を急行列車が結ぶこととなり、この列車が伝説的な列車「フライング・スコッツマン」と称されることとなった。

第二次世界大戦中、ドイツの爆撃機が飛来する最中でも、キングスクロス駅(ロンドン)を午前10時に出発し続けた。現在も「フライング・スコッツマン」は午前10時にキングスクロス発、午後1時にエディンバラ発のNXEC(National Express East Coast)の列車に使われ、ロンドン―エディンバラ間を4時間半で結んでいる。

早瀬利之の蘇格蘭鉄道紀行 作家・ゴルフ評論家/早瀬利之

Vol.30 グラスゴー(Glasgow)地下経由で北西のダンバートン(Dumbarton)へ

純血のケルト系の集団と出会う。

2度目のマザーウェル(Motherwell)を訪ねた時は、エディンバラからロンドン行きの特急に乗り込んだ。時間にして40分。畝りが多く、速度は出ない。

マザーウェル駅では、乗り換えの乗客が沢山いた。夏だというのにジーンズやセーター姿の人もいる。後で分かったことだが、私が降りた同じプラットホームの反対側は、グラスゴー行き。

マザーウェルから20分後に、グラスゴー市内で地下に潜り、川に沿って北西へ向う列車であった。私は地図というよりも、マザーウェルのレール案内で見つけて、グラスゴーから北西の町に出て見ようと決めた。そして時間を合わせて乗り込む。行き先はレントン(Renton)とある。その町がどんな町か全く分からない。とにかく乗り込むと、列車は一度右に走る。それから東から西へと進んだ。全く別のレールの上を走っている。

各駅停車の列車は2輌編成。地元の人が乗ってくる。高校生たちもいる。初めて日本人を見るらしく、3人の女子高生が、私をジロジロと見ている。「日本人って、鼻が低いのね」そんな声も耳に入った。興味津々のようだ。

急に、トンネルに入った。暗くなる。騒音が激しい。すると地下のプラットホームに入った。真ん中のプラットホームを挟んで、上り下りが入る。上は市の中心街らしい。人々が全員降りた。残ったのは2人だけ。

「列車は、乗換えかな」

しかし、乗り換えのアナウンスはない。ドアーが閉まり発車した。次の駅も地下。3つの駅を過ぎるとようやく地上に出た。やっと明るくなる。乗客は私1人になった。外を見ると、広い川沿いに進んでいる。遥か川の向うで旅客機が飛び立つ。地図を見ると、グラスゴー国際空港だ。川の南側にある。こんなに広かったかな、と川を眺める。

私は南側の窓側に立ち、外を眺めた。かつて造船所があった町には、ドックがあるだけである。造船業から撤退したのだろう。コスト競争に敗れて、船価の安い台湾やシンガポールで建造させているのだろう。

北西に向うのに、乗客は2〜3人。急に寂しくなってきた。心の準備は何もしていない。腕時計を見ると夕方の6時だ。

「何処まで行くのだろう。フリーキップだから、何処までも行けるけど―」

私がスコットランドを旅して初めて体験する不安と孤独だった。旅行コースでも観光する所もない。

「もっと上がってみようか。しかし、こんな北の都なのに、冬が暖かい、とは、にわかに信じられないな」

外を眺めながら、そう思った。窓の左も右も民家だ。みんな庭付きの2階建て。石造りの古い家々だ。何代も使われてきた家のようだ。地震のない国が羨ましくなった。石を積み重ねるだけで家が建つのだから。カーヌスティ(Carnoustie)で家を建てる現場を見たが、鉄骨が円形に立ち、その横にブロック程の花崗岩を積み上げていた。実に簡単だった。あとは内装と配電、配管だけのようだった。建った家は人間の手で壊さない限り倒れないという頑丈な家である。

4つ目の駅で、老婦が乗り込んできた。オールド・キルパトリック(Old Kilpatrick)とある。地図を見るとA82(Great Western Rd)沿い。

「何処かで降りて、引き返そうか。奥入りしたらしい」

なにぶんにも昼間のように明るいから、時間が分からない。ようやく、次のダンバートン・イースト(Dumbarton East)という高台の駅で降りた。急に寂しくなったのである。こんな所にまで来ていたものか、と後悔した。

屋根のない駅は高台にあって、クライド湾(Firth Of Clyde)を見下ろす。広い河口だ。河の西向かいが、ポートグラスゴー(Port Glasgow)である。一度行って見たいなと思った。

上りの列車が入ってきた。2輌編成。ボタンを押してドアーを開け、デッキに立つ。と、私はそこで、立ち止ってしまった。客室は満席である。それも同じ顔をした男女たちだ。目が大きく、色白で、骨格が太い。典型的な、純血のケルト族である。彼らは初めてなのか、東洋人の私を、まるで奇人を見るように、全員が私を見詰めた。大きい眼、眼、眼。初めて不安を覚えた瞬間だ。

正直、私は怖くなった。後で地図のレールを北へと遡った。ダンバートン・イースト、ダンバートン・セントラルの次の駅は二股に分かれていて、右側はローモンド湖(Loch Lomond)手前のレントン(Renton)、次がアレクサンドリア(Alexandria)、終点がバロック(Balloch)の町だ。海岸沿いのレールはカードロス(Cardross)、へリンズバラ(Helensburgh)、ゲアロックヘッド(Garelochhead)、ロング湖(Loch Long)に沿って北へ進み、森林の町アローチャー(Arrochar)だ。600m級の山が続く。

♪ちなみに英国(UK)で1番高い山はベンネヴィス(Ben Nevis 1,344m スコットランド最高峰)、ウェールズ最高峰はスノードン(Snowdon 1,085m )、イングランド最高峰はスコーフェルパイク(Scafell Pike 978m)。♪

いずれの町も、東のスターリング(Stirling)へと道が続いていた。

鉄道は湖に沿って畝り、1,000m級の山を上がって行く。そしてブリッジ・オブ・オーチー(Bridge of Orchy)、終点は港町オーバン(Oban)である。終点までは、多分5時間近くかかるだろう。恐らく1日2便ぐらいだろうか。山挟いを縫って走るようだ。

私が乗り込んだ列車の乗客は、数から言って湖沿いの方から来た民族だろう。満席ということは、団体旅行のようだ。さすがの厚顔無恥の私も、車内に入ることはできなかった。男女とも同じ顔、栗毛である。

グラスゴー行き列車はクイーン・ストリート駅(Queen Street Station)が終点だった。私が先に降り、改札口を出た。すると大柄な男女といっても中年夫婦連れが多かったが、彼らはエディンバラ行きのプラットホームへ集団で移動した。トランクや大きな荷物を持っているところからして、何処か海外へ旅行する様子だった。全員6フィートで、とび抜けて背が高いとか、低い人はいない。見事な程、純血・無混。同じ背丈、骨格揃いである。

私は彼らが乗り込んだ列車を見送り、1度入ったことのある和食レストランで夕食をとった。初めての「うどん」にありつく。1杯£7.5(約1,500円)。

■次回から特別版“風の終着駅”〜アバディーンに死す〜:佐治 渉 第1章ウェーバリー(Waverly)駅21番ホーム Vol.1を連載いたします。
父と母が、死の旅に出た先は、思い出の地スコットランドだった。16歳の私は、父と母の死の旅を追い、ひと夏の旅に出た……。(少年の目に映った様々なスコットランドが登場します)

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